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2016-12-13

画商Tetsuの視線8:思い出はアートか?

画商Tetsuです。

今回は、思い出ということと

アートについて考えたいと思います。

 

また意味不明なことを言い出したな…

 

そう思われていいです(笑)

僕の結論は、皆さんの予想通りです。

 

画商Tetsuの思い出話

 

さて、思い出ということを考えると、

いろいろなことが連想されそうです。

 

 

僕は、子供のころから、

思い出のイメージを強く

忠実に思い出すことができました。

 

 

 

子どもの頃、兄貴の漫画が読みたくて、

兄貴の部屋に侵入し、漫画を取り出して、

読んだりしてました。

 

 

 

この時必要だったのが、

元通りに戻す能力です。

 

 

兄貴の雑多な部屋の位置をすべて記憶して、

再生すること、これなしには、

僕が勝手に部屋に入ったことがバレるので、

忠実に元通りにします。

 

 

紙とペンの向き、脱ぎ捨てられたスウェット、

漫画雑誌の山の崩れ具合まで、

全てを再生させます。

それだけ、バレるのが嫌だったんですね(笑)

バレても大したことないのに、

逆にバレずにやることに、

仕事人的なプライドを持ってました。

 

 

子どもなので、許してあげてください。

 

 

 

しかし、僕はこの能力を今は失っています。

 

 

 

僕はこの能力を失った時期を、

明確に自覚しています。

 

 

 

それは、写真を撮るようになってからです。

 

 

 

 

写真を撮るようになって、

イメージが写真に残るようになってから、

僕は、思い出すという行為が、

とにかく難しくなりました。

 

 

 

前は、匂いや、音や景色の細部まで、

それこそ、明確に思い出せたのに、

今となっては、全く記憶できなくなりました。

 

 

 

じゃあ、写真を見て同じ様に思い出すか?

 

 

 

全く違います。

写真を見ても、なにも連想しません。

匂いや音はおろか、その時の景色や、

一緒に居た友人や、なぜそこに居たかも、

全く思い出すことができません。

 

 

 

これは、極端な例だと思います。

 

 

 

僕が写真から受け取るのは、

ほんのり印象だけです。

 

 

何かこんな感じだったなとか?

この人は、こんな人だったなとか。

 

 

 

有人がその写真に関する、

関連情報があって初めて思い出します。

 

 

画商Tetsuのフォーカス

 

それで何が言いたいんだよ?

 

そんな声が聞こえてきそうです。

僕のアクセントはこんなところにあります。

 

 

写真という客観的な情報と思い出との違い

 

 

写真は一つの客観的に切り取られた、

ある一場面です。

 

思い出というのは、

かなり主観的なイメージのことです。

 

それは、そのイメージには、

自分の気持ちや、考えが

たくさーーーん詰まっています。

 

 

写真とは全く異なる、

同じ視点による別のイメージ。

 

 

これが思い出の正体であり、

同時に想い出でもあります。

 

画商Tetsuの視点:絵画における表現の違い

 

写真の様に現実を写し取った絵画と、

ちょっと、うまく描けなかった絵画。

 

どっちが人間味を感じ、どっちが心を動かすか?

 

 

この2つを額装せずにポスターで飾ったら、

人の視線を集めるのは、うまく描けなかった方です。

 

つまり、うまく描けないことも、

一つの表現なりえること。

 

これは、結構重要なんですよね。

 

ちょっと前に、名前忘れましたが、

信長の野望のイラスト担当された方の、

油絵かアクリルの作品を観た時、

身体の細部は全く描かれていなくて、

輪郭線を引く程度。

でも背景の描き込みは、抽象絵画の様でした。

 

これが、劇的構図を生み出し、

画面に明確なコントラストを映していました。

 

つまり、描かれる対象の本質を描けば、

それが表現として相手に伝わるということ。

 

画商Tetsuの切り口:思い出はなぜアートか?

 

思い出が、明確な感覚をともなって、

自分に襲い掛かってくる体験は、

 

 

写真そのものから感じられる印象とは、

全く異なること。

 

 

思い出という経験は、必ず内容をともなう。

その内容というのは、情景であり、

感情と思考の集合体であること。

 

このような点から、思い出というのは、

確実にアートの要素をもつ。

 

 

それがそのまま直ちに描かれるならば、

それは確実に作品となることも確かです。

 

 

事実、思い出を題材にして、

絵を描く人もいらっしゃいます。

 

 

写真という絶対的に客観的な技術がある以上、

手書きにおける技術は上限があることを、

作家は理解して居なければならない。

 

 

手書きの魅力は、その線の中に、

愛らしさや、力強さや、壮麗さなどを、

巧妙に描き切るところにある。

 

 

これらを駆使しさらに色を載せて、

表現ということになる。

 

永遠不滅の現代アート

 

だたの記憶の一つのデータから、

自分の主観によって、思い出が再生すること。

 

 

この2つは、ほぼイコールに近いと思う。

 

 

僕にとって…

 

 

 

「オカンの味噌汁」は

 

 

 

永遠不滅の現代アートであり、

これからもそれであり続けると思う。

 

 

けれども、これを描くには、

それ相応の覚悟と技量が

必要になることも同時に事実です。

 

 

あなたにも永遠不滅のアートがありますか?

 

それでは今日はこの辺で

またね☆ミ

画商Tetsu

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