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2016-12-11

画商Tetsuの視線6 問われる前縄文時代

画商Tetsuです。

今回は、縄文時代について

考えたいと思います。

東京国立博物館の資料がネタ元です。

ですが、まずその前に、

縄文時代以前の話をしなければなりません。

長い道のりです。

 

 

 

画商Tetsuの視点①新・旧石器時代について

 

世界史上において、

この区分けは明確です。

それは…

 

 

 

磨製石器の使用した時期

 

 

磨製石器は、その名の通り、

 

 

磨き上げて作る石器のこと

 

 

を指して言います。

 

 

これは、

石器というただの道具に、

より効果的で効率的な、

機能を与えるという、

大きな変化だといえます。

ここに…

 

 

 

打製石器との大きな違いがあります。

 

 

 

打製石器は、石を打ちつけて、

成形されたものになります。

 

 

打製石器の作成が最初は、

恐らく偶発的なものから、

しだいに、

目指す形をイメージして、

作る段階へどこかでシフトしていったことは、

考古学的にみて間違いありません。

下記の、展示資料にも記述が観られます。

 

 

 

 

 

しかし、日本においては、

この磨製石器の発見は、

実にBC35000において、

既にあったことになります。

 

 

これは、人類史の中でも最速であり、

その他の地域との関わりが

わからないそうです。

 

 

ただ一つ言えることは、

BC35000は現在よりも、

平均気温は寒く、氷河期並み

同時に大陸と地続きであったこと。

この点はわかっているようです。

 

 

 

画商Tetsuの視点②磨製石器の出現が早い。なぜ?

 

 

この点に関して僕なりに考えました。

 

 

まず、大陸と地続きになっていたのは、

北海道の先端と、九州と朝鮮半島です。

 

 

この2点を繋いで、見ると、

現在の日本海が大きな湖だったことが

わかります。

 

 

現代よりも、平均気温が低いことを考えると、

まともに生活できるエリアは、

関東圏が北限で、南は大陸に向かって伸びて、

大陸との境界部から、日本列島側に向かって、

人の流入があったことが考えられます。

 

 

ここで、一つ考慮しなければならないことが、

彼らは、氷河期を経験した人類であるということです。

 

 

氷河期を生き抜いた人類が、

関東を北限にするというのは、

普通に考えれなそうですが、

この時期の人類はもっと北でも

生活できたと思えます。

実際に、博物館の展示を観ても、

BC18000で北海道での出土があります。

 

 

 

なぜ、日本では磨製石器の出現が早かったのか?

 

 

 

僕は、極端に食料源が少なかったから…

 

 

 

 

かなって思いました。

関東を北限として、その他の地域は

冬に入ると氷の世界です。

 

 

その中を生活するには、

狩猟の精度を上げる必要があったでしょう。

また、この時期に活動できる動物を考えると、

間違いなく大きなものとなると思います。

 

 

 

大きな体を持つ大敵に向かって、

高確率での狩猟を行うには、

やはり、それだけの備えが必要になります。

 

 

 

その備えが、結果的にその文明を生んだ

という可能性はゼロではない気がします。

 

 

また、地続きといっても、

大陸との間には大きな差があったでしょうし、

地続きとなっている、朝鮮半島方面も、

水害のなどによって、不安定な地域だったとも

考えられます、そんなことを考えると、

必然的に、日本の本州側へ活動圏域が狭まっても、

全然不思議じゃない。

 

 

 

ちょっと持論を展開し過ぎたので…

頭を冷やして、事実に基づくお話をします。

 

 

画商Tetsuの視点③生活の安定度と石器

 

 

上記の憶測は、置いといたとしても、

石器見られる工夫に、生活の安定度合いを

映し観ることは可能かと思います。

 

 

まずただの直接打法のよる打製石器から、

間接打法や押圧剥離法などへ移って行きます。

 

 

 

直接打法は、石と石をぶつけあって、

不要な部分をそいでいく方法です。

 

 

最も原始的ですね。

 

 

そのため、できる形もおおざっぱでした。

 

 

普通に自分が子どもで、何も知らない人間なら、

獲物をとる道具として、ある程度加工するなら、

まずこの方法を思いつくなっと思います。

 

 

 

間接打法は、動物の角などを使って、

ある程度狙った形に石を武器へと変える方法です。

 

 

この時、ベストな形を追い求めて、

石器を製作したと思います。

 

 

 

ここに原始的な意図的創作を

観ることができます。

 

 

 

 

 

 

ここ驚くところですよ(笑)!?

 

 

 

 

 

作りたいものがあって作るということ、

これが可能になっているということです。

そのための創作だったということです。

 

 

 

逆に、偶発的創作が、直接打法だともいえます。

正に効果的な形状を偶発的に見出した時代です。

 

 

 

 

押圧剥離法は、もっとさらに細かく、

石器の形状を調整したり、

細かい石器を、動物の角に差し込んで、

それを槍として、創る技法です。

 

 

ここまで来ると、明確にどのようなものが、

相手を効果的に捉えるものなのか?

それについての考案もうかがえます。

 

 

これは人類全員が職人として、

働いた時代だと思えます。

 

 

 

クリエイターでない者は、

生き残れない時代だったということです。

 

 

 

 

この技術的な発展に伴って、

生活それ自体も安定してきたと思われます。

 

 

つまり、創作によって生活の安定を

切り拓いた時代だといえるでしょう。

 

 

 

画商Tetsuの視点④石器と信仰

 

この時期の石器には、

信仰の痕跡を観ることはできません。

 

 

 

 

しかしながら、

恐らくその機能的美について、

通時的にその美的感性を

見出していたに違いありません。

 

 

そうでなければ、

石器の進化ということ自体が、

結果として現れないからです。

 

 

 

恐らく、その美的感性によって、

石器の創作における信仰も、

少なからずあったんだと思います。

 

 

 

 

どちらにしても、

カタチということに対して、

ものすごく強い意志があったことは、

疑いようはありません。

 

 

 

そのカタチへの信仰という

通念的イメージ理解が、

世代を跨いで継承していき、

石器時代ということを

ドライブしていったと考えるのは、

自然な流れのように感じます。

 

 

 

このような、歴史的感性としての

美的形相の継承が無意識的に行われ、

その中で、石器時代から、縄文時代という、

文明の時代へと変化していったのではないか?

 

 

そんな憶測がしたくなってきます。

 

 

 

こういうとき、

考古学の専門家が居るといいのだけど、

僕が知ってるのは歴史家しか居ないので、

誰紹介してください(笑)

 

 

それでは今日はこの辺で

またね☆ミ

Tetsu

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