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2016-11-23

東京の観光地代表! 浅草にポップアートギャラリー

画商Tetsuです。

今回は、浅草にあるアートギャラリーについて、

ご紹介したいと思います。

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東京の観光地浅草あるポップアートギャラリー

東京の観光地として、テッパンの位置を占めていて、

浅草という地名は、日本全国で知られていて、

浅草を連想すると、必ず雷門と言う様に

完全にお決まりのパッケージ化されてますよね?

そんな、東京観光スポットの浅草に今年6月から、

ポップアートギャラリーが誕生しました。

オーナーは、しばた飛路(しばたひろ)さんです。

元々多摩美術大学に入学後、

アメリカのクーパーユニオン大学卒業後、

電通に入社してアートディレクションの経験を積んで、

この度このギャラリーが誕生した。

ギャラリーには、信長の野望のイラストを担当している長野剛さんや、

逆輸入されたアメリカ的マンガの表現を持つ今井トゥーンズさんなど、

非常に個性的。

そんな魅力いっぱいの作品を丁寧に作品について

語られるしばたさんは本当に懇切丁寧で素敵な方です。

 

僕はしばたさんが紹介してくださった作品に関して、

さらに読み込んで、楽しませていただきました。

 

また、ここの立地が狙ってなかったそうですが、

とてもいいです。

何がどういいかというと、

浅草に来る欧米系の旅行客は、

日本文化である温泉を楽しみにして来れられる方が多いです。

ですが、浅草に限らず、タトゥーの入った方の

入浴が断れているのが一般的です。

つまり、ほとんどの欧米圏の方々は、温泉を堪能できないです。

 

けれども、それに対して、浅草に一軒だけ、

タトゥーがOKの銭湯があります。

それがじゃ蛇骨湯というのですが、

この蛇骨湯を出て、ちょうどホステルなのに帰る際、

ちょうど目の前にこのギャラリーがあります。

もちろん、海外諸国の文化圏では、ギャラリーに入るのは、

コンビニに入る位気軽なことなので、

このギャラリーに吸い込まれていくのです。

実際、ギャラリーに一日二組くらいは欧米圏の来訪者がいるそうです。

 

しばたさんにご紹介頂いて、僕ある個展に行ったのですが、

その作品も素晴らしいもので、しばたさんの芸術に対する

造詣が深さをうかがい知れました。

 

しばたさんは、浅草という場所に

昔のニューヨークのSOHOのような雰囲気を感じるといいます。

私も浅草に住んで、その歴史を調査している身として、

その部分に深く共感致しました。

 

今回は、この出会いを通じて、

浅草という場所を通じて知る得る、

また感じ得る事柄についてご紹介いたしたいと思います。

 

浅草寺とその歴史…日本文化と芸術的関連

浅草寺の歴史をたどると、

日本文化のことができるのではないか?

私はそう考えて、最近歴史的調査を行っております。

その一環として、少し浅草寺のお話をさせてください。

退屈でしたら、飛ばして頂いて構いません。

 

浅草寺といえば、浅草の観光のメッカとも言える場所です。

正式名称は金龍山浅草寺と言います。

ここの山門の1つに雷門があり、

本堂の手前にもう一つ宝蔵門(旧仁王門)があります。

浅草の本殿には浅草観音が祀られていて、

雷門から仁王門までを仲見世通りといい、

雷門から本堂までを表参道として

その周辺に商店が立ち並び多くの観光客でにぎわっております。

さて、この浅草寺ですが、

実は元々天台宗の寺として建立しました。

 

その前にある伝承があり、

それが今日の浅草神社に祀られている

三人の方々に当たります。

ここで深く触れませんが、この三人が今日の三社祭で、

担ぎ出される三基の本社神輿です。

 

寺として確立した時代は、平安期で、

円仁が浅草寺の前身のお堂に訪れて、

経年劣化で傷んでしまったご本尊様の代わりに

御前立として新たに観音様を彫られたと縁起に記録されているそうです。

さて、この浅草寺ですが、今日観る浅草寺は、

神社と寺が隣接して建てられていますが、

よく考えると変なことなんですよね。

寺は仏教、神社は神道で宗教が違うにも関わらず、

なぜ隣接して、同じ敷地内にあるのでしょうか?

 

これは、元々、浅草寺において、

寺と神社は一体のものだったからです。

浅草神社に祀られている、三人の方々は、

元は、三社大権現と言って、寺から生まれたものでした。

さてこの三名はどのような人物かというと、

浅草寺のご本尊である観音様を

川から拾い上げて祀ったという

寺の功労者のような存在でした。

時を経て、それが神格化して三社大権現として、

寺でも祀られるようになりました。

その後最終的には、明治元年の神仏判然令によって、

神社と寺は完全に分離しました。

それが今日に至り、今の景観を形成しています。

ココに観るように、信仰が政治的理由や宗教的な理由で、

書き換えられることがありました。

同時に、もう一つ信仰を書き換える要因がありました。

それは、災害です。

浅草寺は物理的に古くは水害に、また、火災によって、

さらに、空襲と地震によって破壊され、

その都度立て直されてきました。

そして、それらが書き換えられるたびに、

歴史的意義も移り変わってきました。

 

宗教的に、政治的に、また、物理的にも

破壊と創造を繰り返してきたこの地には、

現代において、多様な引き出しを持つ存在へと変わりました。

浅草寺の歴史を知ることは、あるいはそれについて問うことは、

日本文化を問うことに等しいと思います。

なぜなら、壊れて、作り直すたびに新しいものへ

その意義が書き換えられ続けてきたからです

 

そして、その意義が今もう一度書き換えられとしようとしています。

それが次にお伝えする内容になります。

 

東京の浅草から、国際的なAsakusaへ

東京は、Tokyoとして、海外の歌に当たり前に登場するほど、

国際的なとしての認識があります。

そして、同様にココ浅草もこれまでの、

浅草という日本固有の場所から、国際的なAsakusaとして、

生まれ変わりつつあります。

街にいる人を見れば8割が海外の方であることに気付きます。

店舗には、英語と中国語どちらかできる人がいて、

イングリッシュメニューだけではなく、

チャイニーズ、ハングルメニューまで用意されている店まであります。

このような新しい日本としての姿を

浮かび上がらせつつある浅草は、

これからの日本文化を背負って立つ存在として、

変わっていくでしょう。

 

画商Tetsuの視点として

その時に必要となってくるのがやはり、

既存の文化の足場をしっかり固めることです。

僕たちは、今まで多くの海外の文化に触発され、

そして、同時に独特の文化へと変化してきたと思います。

しかし、同時に、僕たちの文化の不足も

同じだけ経験してきた様に思います。

 

留学の経験をした人はなんとなくわかると思いますが、

海外の人達に、

 

「ねぇ?君の国の文化はどんなもの?」

 

といわれた時、

僕たちは、迷いなく

 

「これだ!」

 

 

と言える文化はあるだろうか?

そして、あったとして、それについて、

どれほど説明できるのだろうか?

ここの部分というのは、歌舞伎や落語、

仏教の歴史、神道の歴史、政治的な移り変わり、

どれ一つ深く勉強したところで、

まったく答えを引き出せるものではないと思います。

だったら何が必要なのか?

それは、同世代に生きる人々の芸術によって、

今を生きるアーティストの活動によって、

その芸術に価値を見出すことによってではないでしょうか?

 

僕たちは、僕たちの文化を、自分たちで評価できていない。

評価する仕組みもないも興味もない。

全部どこかの誰かの声を借りないと、

価値判断ができない。

 

そんなんでいいのか?

僕には理解できない。

せめて、自分たちの文化ぐらい、

自分で評価できる人間でありたいと。。。

少なくとも僕なら考える。

重い話になったけど、

考えなくちゃいけない問題だと思う。

 

それでは今日はこの辺で

またね☆ミ

画商Tetsu

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