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2017-01-12

ゴンブリッチ 美術の物語 序章その1

ども、

Tetsuです。

 

今回は、前回の続きでゴンブリッチの美術の物語について、

紹介させて頂きます。

内容としては、序章です。

やってみてわかったんですが、

序章の内容が濃すぎる(笑)

なので、3回くらいに分けますね^^;

最後の太字部分だけは必ず覚えておいてください。

本文入る前に、2つ決め事をします。

①図版は紹介しない。(掲載図版の名称は紹介する)
※著作権と参照リンクの関係で…

②本文の引用は“決定的な語句を除いて”極力避ける。
※引用文って僕がまとめている意味ないですよね

これを通していきたいと思います。

では、参りましょう!

ゴンブリッチが伝える絵画への視線

“これこそが美術だというものが存在するのわけではない。作る人たちが存在するだけだ。”

引用は極力しないと言っておきながら、

いきなり、引用から始めました(笑)

でも、この文は引用しないといけない。

そう思って引用しました。

この文は『美術の物語』の序章の最初の2文です。

美術の物語がまさに始まる。

その幕開けにこの言葉を選んだ理由は、

序章の最後の文章への伏線となっている。

それは、美術に対する姿勢への提案であり、

美術という一つの神話の指摘でもあるんです。

つまり、美術という魔術(マジック)に絡めとられて、

作り手に目をやらない態度に警鐘を鳴らしているんです。

これが、序章の始まりであって、同時に結論でもあります。

ここに具体的な作品を当てながら、

それらを解説していきます。

そして、その中で美術という魔術(マジック)に潜む、

巧妙なトラップを1つ1つ解除して、

作家への創作への態度や画家の視線へと連れて行くんです。

 

僕がここで、魔術と呼んでいることは、

ゴンブリッチの言葉でいうと

“偏見の衣”に当たると思います。

ゴンブリッチはこの言葉を部分的にしか使いませんでしたが、

序章で語られる内容はすべてここに帰着します。

ご自身で本を読まれる方は、

この言葉を見逃さないように注意したほうがいいでしょう。

それでは、実際にゴンブリッチが取り上げた、

美術という神話にかけられた魔術(マジック)を、

彼が挙げた作品と、指摘した内容を取り上げて、

順番に紹介できるといいなと思います。

ゴンブリッチが指摘した魔術(マジック)

嫌いに眠る偏見

美術を好きになる理由はなんであれ、

嫌いになる理由が偏見であってはならい。

このような事が序章の初めのほうに書かれています。

具体的な例として、

 

山登りが嫌いだから、山の風景画嫌いになる。

これはダメでしょ?

ってことが書いてあります。

文字で見ると普通にあるのですが、

経験的にこれを自覚できるか?

これは別物だと思います。

もっとわかりやすく言うなら、

 

タバコの臭いが嫌いだという理由だけで、

タバコを吸う人が嫌いという人は大勢います。

喫煙者から、タバコの臭いがしなかったら、

タバコを吸う人も好きになるかもしれません。

ゴンブリッチが指摘したのはそういうことです。

リュベスの息子の絵とデューラーの母の絵

ゴンブリッチはこの2つの絵を挙げて指摘したのは、

パッと見の印象よりももっと注意深く観察すれば、

描き手の気持ちが映り込んで来るということです。

それを、

 

“現実で観たいと思うことを、絵でも見たいと思う”

このような感じで伝えています。

リュベンスの息子の絵は、

かわいらしい赤ちゃんの絵です。

それに対して、デューラーの母の絵は、

シワだらけのおばあさんの絵です。

パッと見の印象では、

デューラーの絵は受け入れがたいですが、

その眼の描き込みを観察すれば、

そこに愛着があることが見て取れます。

ゴンブリッチが伝えたかったのは、

そういうパッと見の印象に惑わされない、

誠実な視線なんだと思います。

ムリーリョの浮浪児の絵とピーテル・デ・ホーホの室内風景

ゴンブリッチがこの二つの比較において指摘するのは、

絵画にされる光景は、それ自体、

すべてが美しいことばかりではない

ということです。

ムリーリョが描いた浮浪児は、

大変美しい姿ですが、

実際の浮浪児が美しかったかどうか?

これは何とも言えません。

ピーテル・デ・ホーホのリンゴをむく女性のいる室内は、

子どもを描いた点で、ムリーリョと同じですが、

ムリーリョと比べ、子どもの描写は素朴です。

けれども、画面全体をとおして、

切り取られたその日常風景は、

大変美しいものです。

このようなところに、絵画として表現される事柄が、

日常にある一風景で、とりわけ美しかったこととは限らず、

絵画表現の中で美しく描かれることがあるということです。

絵の美しさ≠対象の美しさ

この式を提起することで、

ゴンブリッチは、また一つ魔術(マジック)へのけん制を

行っているのです。

メロッツォ・ダ・フォルリとハンス・メムリンクのリュートを弾く天使

ゴンブリッチが、この2人が描く作品の表現について、

作家の視線から、美しいと映るその感性が違うことを指摘している。

ネロッツォ・ダ・フォルリの天使は、いわゆるイケメンの天使ですが、

対して、ハンス・メムリンクの天使は、

一歩間違うとどこか気の抜けたアホ面に見えるけど、

その視線をしっかり見つめると、純粋で敬虔な精神を、

その目に宿しているようにも見える。

描かれたことを見つめる視線には、

異なる精神が必要になることも、
同様に必要だといいたかったのかもしれません。

これも先の例にもれず、

パッと見の好き嫌いが誰しも同じ様によく観えはしない。

という魔術(マジック)の類型といえるかもしれません。

こうした、美の基準は、感情表現も同様に、

表情の好き嫌いにも表れるとゴンブリッチは指摘する。

グイード・レーニの荊冠むりのキリストとトスカーナの画家の磔刑図

ここでは、キリストの磔刑について語られている。

キリストは聖書の中で、

十字架に磔(はりつけ)にされるのですが、

それというのも、ユダヤの教えに異を唱えたので、

人々の罪を一身に背負い自らが処刑に臨んだことにあります。

ユダヤ教徒からすれば、反逆ですが、

キリスト教徒からすれば、

これほどキリストが哀れなシーンはありません。

その受難の苦悶とその献身的な精神を表す画として、

磔刑図はしばしば、ヨーロッパで描かれてきました。

その表情をゴンブリッチは見比べているのですが、

グイード・レーニ(17世紀)の表現したその表情には、

苦しみと同時に、自らを投身する献身の両方が感じられます。

ある意味でのこの分かりやすさが、

ヨーロッパでは定番になっていることが語られています。

それに対して、トスカーナの画家の作品として紹介される、

中世の画家の表現は、見やすいものではないといわれる。

実際、宗教画のほとんどは、平面的で、のっぺりしていて、

その表現をくみ取るには、少しばかり慣れが必要だと語られています。

実際絵の印象としても、人の顔として表情はわかるものの、

僕たちが現代の視線で観るならば、漫画に近い印象を受けるでしょう。

しかし、その表情というのは、苦しみに涙しているようにも見えるし、

同時に、残念に思いあきれているようにも見えます。

こうした、両義的な表現をゴンブリッチは、

時代の視線に合わせてそれを観ることが、

必要になると語っています。

キリスト教と西洋美術の関係性

結局、中世になると必ずキリスト教や、

ユダヤ教など、一神教的な世界観が必ず美術に現れます。

結果、それらのある程度の知識を持っている必要がある。

…ということです。

これは、年表で知っている必要はないんです。

ただ、キリスト教的な感性が必要です。

じゃあどうやって、それ見につけるのか?

それが問題ですよね?

聖書なんて読んでられないよ!

その通りです。

実は、現代においては、

ある程度キリスト教的なイベントが入っています。

クリスマスとかわかりやすいですよね。

だから、そういうところから拡げるといいと思います。

クリスマス。結婚式のチャペル。

キューピット、ステンドグラス、マリア像、

キリスト像。祭壇があって、神官がいて、

建築は天井が高くて、ドーム型で…

ほら?

見えてきませんか?

イメージが…

そのイメージでいいんです。

ドンドンそのイメージを拡げて行って、

そこに、当時の中世の絵を投入すると、

意外となんか「しっくり」きたりするものです。

大事なことは、聖書を知ることではなく、

キリスト教的感覚を知ることです。

これを知れば、一神教的な世界観が観えてきます。

そのイメージさえできると、一神教というのが、

ものすごい強烈な世界観を持っていて、

他を排斥する思考があるのも見えてきます。

これに対して、古代はギリシャ神話で多神教ですので、

どちらかというと、日本的な感性になります。

ヨーロッパと言うのは、多神教に始まり、

一神教に染まって、多神教への回帰をちょっとして、

最後は、科学という思考形式に落ち着いたという軌跡をたどります。

僕が今上に書いた3行は、

これからアートを観たい人は、

絶対覚えておいてください。

これを知らずして、西洋美術は理解不能です。

すべて忘れてもいいので、それだけは覚えておいてください。

そのメッセージを締めに、

今日はここまでとさせて頂きます。

次回は、絵画が逆に人間の視覚を脅かすという

魔術から始めます☆

 

それでは今日はこの辺で…

またね☆ミ

Tetsu

 

 

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